天宮さくらの気随記

ふと誓ったり想ったり笑ったりな天宮さくらのキロク

第6記 愛すること

『鑑定士と顔のみえない依頼人』を観たのは先週末。それ依頼、映画の余韻にずっと浸っている。主人公の心の揺れを感じたり、ヒロインの本音を想像したり、結末のその先を思い描いたりするのだ。そうやって作品を自分の中で、ゆっくりゆっくり、消化する。なんて贅沢な映画だったのだろう。

 この映画をジャンル分けするのなら、ミステリーとロマンス。映画の解説ブログを読んだり、感想を読んだりして思ったことは、この映画をミステリー寄りに観るか、ロマンス寄りで観るかによって、感想が違う。ミステリー寄りで観れば、映画の結末は悲惨なもので、ロマンス寄りで観れば、心が温かくなる。

 私は、映画を観終わったあと、温かい気持ちになった。

 愛することができなかった男性が、愛することができるようになった。確かに裏切られはしただろうけれど、けれど彼は手袋を外すことができた。信じることができるようになった。それは人生を彩る上で、欠かせない気持ちだと思うのだ。

 

 どうしてそう思うのか。それは、私自身が人を愛することができるようになったからだ。

 ずいぶんと小生意気で頭でっかちな子供だったと思う。大人になることの良さがわからなかったし、生涯の伴侶がこの世のどこかにいればいいのにと思いながら、信じていなかった。小学校中学校の生活は影を歩くようなものだったし、ときにはいじめられたし、いてもいなくてもいい存在だった。

 大人になって両想いになったと思ったら、私の思い違いだったりして、「あー無理! 一生一人で生きていくしかないわー」と諦めていたとき、旦那さんと会ったのだ。

 愛するっていうのは、不思議なことだと思う。少女漫画を読んで想像していた感情とは、全く違ったものだ。旦那さんと出会うまで、私が愛だと思っていたものは恋止まりの、愛に行き着かないものだった。無条件に相手を信じることはできないし、どこかで未来に届かないと感じている、そのときだけの感情。来年も同じ気持ちでいられるのか、確信を抱けないものだった。

 愛は、永続性があるのだ。そりゃ、なんでもかんでも相手を受け入れられるわけではないけれど、「仕様がねえなぁ」と思いつつ続けられる関係。相手を「好きだなぁ」と思いつつ「かわいいなぁ」と思いつつ「バカだなぁ」と思うのだ。ハラハラし続けることもなければ、ドキドキし続けることもない。でも、一緒に生活するなら彼がいい。そう思えるのだ。

 愛を知れたから、私は人生を生きていくのが楽になった。

 

 映画の最後のシーンは、はじめ観たときは途中経過なのではないかと不安になった。けれど、あのシーンが最後なのだ。あそこを最後にするからこそ、心が温かくなる。

「どうせ裏切られるのだ」とか「待ったって意味がない」と感じる人はいるだろう。でも、あそこで待てることこそ、彼が愛を知ったということなのだ。もし私が旦那さんに裏切られたとしたら、そりゃかなり深く傷つくけれど、でもああやって待っていると思う。

 裏切られるから意味がないだなんてことはない。信じている人がいる。それが、愛することなのだ。

 

 

第5記 疲れない都会があればいいのに

 私は山口で田舎暮らしをしている。近場の都会といえば福岡や広島、遠出をして東京といった具合だ。山口では流行り物や最新アイテムなんかがやってくるのが、遅い。とにかく遅い。都会の人が十分に楽しんだあとのおこぼれを味わう感覚で、遅い。でも、だからといって都会で暮らしたいとは思えない。

 都会に遊びにいくと、とにかく疲れる。空気や埃、人の多さ、雑音。建物は上に長く長く伸びているし、地下もたくさん掘って掘ってどんどんと広がっている。広げたスペースには様々なお店やオフィスが入り、看板やらポスターやら多くの情報を掲示している。それらすべてに反応していたら、時間がいくらあっても足りないし、体力が続かない。

 ちょっとした買い物程度なら楽しいけれど、そこに居続けるにはあまりにも疲れてしまう都会。どうしてなのだろうと疑問だったけれど、『人間の建設』の「無明ということ」の章を読んで、自分の中で解答を得た。

 

『人間の建設』の「無明ということ」の章では岡潔氏と小林秀雄氏が、「無明」と芸術のことを話している。「無明」という言葉の意味がなかなか私の中でしっくりこなくて、何度も読み直した。そして思ったことが、「「無明」ばかりの芸術で都会は構成されているから、あんなにも疲れるのかもしれない」ということだ。

 

「無明」について辞書で調べてみると、無知であること、愚かなことの意である。煩悩があるためにさとりをひらくことができないことだと、ある辞典では書いてあった。二人の対談では「無明」の説明に最近の芸術を取り上げている。最近といっても二人が対談していた頃の最近なので、現在では昔の芸術になってはいるが。

 私は二人の対談から、「無明」とは目の前の欲求そのものばかりに反応して、自分の無知をさらけ出すことなのではないか、と考えた。

 そう考えると、どうして都会がこんなにも自分を疲れさせるのか、私の中で腑に落ちるのだ。建物であれポスターであれ看板であれ、最新のものや流行りのものは、芸術家の自己、「無明」を全面に押し出したものばかりなのではないか。作品たちは芸術家の「無明」を強調して、消費者である私たちに押し付けられているのだ。

 もちろん、全てがそういうわけではないのだろうが、そういう「無明」で作られた作品が、都会には集まっているのだ。神経を逆なでするようなものばかりに囲まれて、どうして休まることができるのだろう? 神経過敏にさせられるから、今度はアロマだエステだリラクゼーションだと一所懸命に癒されようと努力しなければならなくなるのではないか。

 

 別に、人類みんな田舎に帰れというつもりも、自然に帰ろうなんていうつもりもない。とにかく木を植えろとか、屋上を緑いっぱいにしろとか、そういうことでもない。すべての広告を批判したいわけでもない。ただ、個人個人の欲望ばかりを集めて作られた都会は、人の心を疲れさせるばかりだと思うのだ。

 もし都会の設計そのものを大きく変更して、「無明」を抑えて作られた作品や心がすっと落ち着くような芸術しかない場所に変えることができたら、どうだろうか。都会で生活する疲れが少しは軽減されるかもしれない。「それじゃあインパクトなくてものが売れなくなっちゃうよ!」という人もいるかもしれない。でも、相手にどういった心持ちになってほしいのかを考えて作られたものなら、受け手は答えてくれると思う。

 

 瞬発的な感情の揺らぎばかりを追い求めることと、「無明」ばかりの芸術。『人間の建設』に書かれた学問への考え方を踏まえて「無明ということ」を読むと、自分という存在のあり方を考えされられる。

 

人間の建設 (新潮文庫)

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第4記 学ぶことを考える

 私はものを知らない人間だ。一般に常識と言われていることを理解せずに過ごしてきた。興味や関心を抱かなかったから、そんなことになったのだと思う。だから「どうしてそんなことも知らないんだ」と親や旦那に呆れられることが多々ある。

 なら、興味関心を抱いたことは深く知っているのかというと、そういうわけでもない。飽き性なのだ。深く知る前に飽きてしまって、知ろうと努力することを怠ってしまう。深い洞察力や知識を持つ人に憧れはするけれど、そうなろうと頑張れない。表面的な知識ばかりを集めて、なんとなく世の中を生きているのが私だ。

 

 私のような人は、世の中の大多数だと思う。一昔前なら、知りたい情報は新聞や雑誌、本などを読み込んで得るものだったから、必然的に深い知識を得ることが可能だったのだ。けれど今は、スマホでちゃちゃっと検索して、欲しかった情報だけを知ることができる。欲しかった情報の過程には興味を抱かないのだ。また、その情報を基に何かを考える、ということもしていない。

 瞬時に欲しい情報にアクセスできることを否定はしないけれど、そのことによって深く学ぼうという努力を失ってしまったように思う。

 

 表面的な知識だけを集めることが、どうしていけないことなのか。それで生活できるのなら、それでいいじゃないか。そういう意見を持つ子供を、この間ネットで見た。彼の主張は、「困ったらネットで検索すれば事足りる。だから勉強は必要ない」とのことだ。学校に行きたくないからそう言っているのかもしれないが、私のような知りたいことをネットでささっと検索して終わらせてしまう大人は、彼の主張を笑えないと思う。

 なぜ表面的な知識だけではいけないのか。それは、視野が狭くなるからだと私は考える。刹那的な知識の蓄積だけでは誤った判断を下すことになるかもしれない。差別的・偏見的な物の考えをしてしまうかもしれない。一度ネット上で主張したことは永遠に消されることがないというのに、言葉を紡ぐにはあまりにも浅はかな知識しかないのは、とても危険だと考える。

 どうして深く学ぶことを、私たちは怠ってしまうのだろう?

 

 ときどき本棚から出しては読む本がある。新潮文庫の『人間の建設』だ。去年の夏の文庫フェアのときに本書の存在を知り、それ以来、少し考えたくなったら本書を読むことにしている。

『人間の建設』は世界的数学者の岡潔氏と批評家の小林秀雄氏による対談、というよりは雑談をまとめたものだ。芸術や宗教、物理学や数学と幅広く話をしている。知識の足りない私にはわからない部分も多々あるが、それでも二人の雑談には多くの気づきがある。

 最初の四ページに「学問をたのしむ心」と題して、学問とはどのようなものであるかが語られている。学問というものは面白いものであるはずなのに、学校では学問とはむずかしいものなのだと教育している。そこが、学問をする価値を低くしてしまったのではないか。そう、二人は話す。

 この箇所を読んで、私は現状に納得した。学びは大変なもので、時間がかかる。時間がかかればかかるほど、遊ぶ時間がなくなってしまう。とりあえず当座をしのげばそれでいい、となって、むずかしいから面白いに転換する体験を逃してしまうのだ。

 むずかしいから面白いに転換した体験をした人は、深い洞察と知識を持つことができるのだ。

 

 インターネットの普及に伴い、個人のキャラクターが画一的になった気がする。それもまた、深い洞察と知識を持たない人が増えたことと関係があると私は考える。学びを体験したことがない人が目立とうとするならば、バカになってアホをするしかないのだ。けれど、バカをした人が長く人の役に立っているのを、私は知らない。

 学問とは面白いもの。そのことを体験できるよう、努力したいと思う。世の中の役に立てる、誰かのために生きていける人になるためには、まず学問だと思うのだ。

 

人間の建設 (新潮文庫)

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第3記 横顔と雨の予感

 先日、東京都美術館の「クリムト展」と、パナソニック留美術館の「ギュスターヴ・モロー展」に行ってきた。はるばる山口から東京への長距離旅行。念願だった作品たちを見ることができて、ものすっごく嬉しかった。その嬉しさをずらずらと書き連ねることはできるけれど、それはまたいつかの機会に。

 今回一番印象に残った作品は、「クリムト展」で展示されていた「ヘレーネ・クリムトの肖像」だ。淡い色彩と柔らかい筆跡でヘレーネ・クリムトの横顔が描かれている一枚。印刷物とはまったく違った印象で、現物を見る贅沢を堪能させてもらった。

 どうしてこの一枚が一番印象に残っているかというと、その横顔の少女にときめいたから。絵のモデルとなったのは画家グスタフ・クリムトの姪。歳は6歳。少女の愛らしさがぎゅっと詰まっているけど、彼女の目線はこちらにはない。私がふと気になって彼女を見た一瞬、のような感覚を覚えたのだ。

 私には甥っ子がいるけれど、甥っ子と目線を合わせることは少ない。私が振り返ったタイミングで、甥っ子はどこか遠くを見ているのだ。この絵を見た感覚は、その甥っ子を見ているような感覚に近かった。見れるのは視線が合う子供ではなく、その横顔。その片思いな感じが、印象に残った。

 

「可愛い横顔を見たなぁ」だなんて思って美術館を出たとき、ふと「私の横顔ってどんなだったっけ?」と気になった。さすがに「ヘレーネ・クリムトの肖像」のような可愛らしい横顔ではないだろうけれど、見れないものではないだろう。「自分が思っている以上に可愛い横顔だったらどうしよう」だなんてドキドキしながら家に帰って、ああだこうだと鏡の前で苦戦して見た横顔は、首回りにぶよぶよな肉をつけたものだった。

「なんてことだ! いくらなんでもこれはひどい!」と自分の日頃の生活の悪さは棚に上げて腹が立った。どこかに少女の残り香的雰囲気くらい残っていてもよさそうなものなのに、あるのはシワと肉。純粋さは失われ、輝きも濁っている。「こんな顔だから日々の生活に張り合いがないのかしら」と不安になった。

 さらば私の青春。ようこそ私の肉。ああ人生って辛い。

 そんなことを思いながら、梅雨がやってきた。

 

 例年、「この夏は異常気象です」と天気予報で同じことを繰り返している気がする。今年の異常気象は、梅雨が遅かった。梅雨入り前の温度差もヘンだったけれど、まさか梅雨入りが例年よりも一月遅れるとは思わなかった。おかげさまで庭の紫陽花はシワシワの花で、汚いったらない。

「早く梅雨きて夏にならないかなぁ」だなんて梅雨入り前は思っていたけれど、梅雨になればなったで文句ばかり出てくる。湿気で天パはぐるぐるだし、雨で洗濯物は乾かないし、通勤に一苦労。買い出しも大変だし、肌がベタベタして気持ち悪い。

 例年、梅雨がきて欲しいと思う理由は、早く夏を迎えたいだけだった。

 けれど、今年の梅雨入り前は少し違った。梅雨入りが一月遅れていたからかもしれない。仕事帰りにふと、ワクワクするような予感がしたのだ。

「あ、梅雨がくる」

 その予感は的中で、次の日から梅雨入りした。

 あの予感の瞬間の気持ちは、忘れていたトキメキだった。雨が降るぞ、とウキウキしながら傘を持って出ていた子供の頃。雨のむわっとした匂いを思い出して、傘をさして歩く自分を想像しながら雨を待っていたあの頃。あのトキメキに近かった。

「ああ、私の首回りには醜い肉ばかりついて、おばさんの横顔になってしまったけれど、心はまだ少女の部分が残っていたんだ」

 梅雨入りの予感がした日、首回りの肉をぷにぷにとつまむと凹むが、自分の純粋さは全部なくなったわけではないことを知った。はるばる東京まで遠出して、絵を見に行ってよかったと思う。

 少女である自分に嬉しさを抱きながら、雨が降る音をしばらく聞いた。

第2記 ナマケモノな前髪

 前髪が伸びたら自分で切る。少しでもお金は本とCDに回したいので、前髪カットのためだけに美容院には行かないのだ。そこまで自分の容姿にこだわってもいないし、慣れればものの数分でできるようになった。前髪が伸びたら毎回、切れ味の落ちた工作バサミでじょきじょきと適当に切る。

 最近また伸びたので、ぼちぼち切り時。でも、この前髪を切る作業をついついギリギリまでサボってしまう。ほんのちょっとの時間で済むのだ。ちょっとハサミと鏡とティッシュでも用意したら、それでオッケーなのだ。それなのに、面倒くさい。

 面倒くさいとほったらかしていると、どんどん陰気な私になっていく。人生どんよりな引きこもりチックなおばさんに早変わり。毎朝鏡を見ながら化粧をするとき、「うわっ、暗いなぁ私」だなんて他人事のように思うのだ。

 で、いよいよ「もうこれ以上は、仕事に支障をきたすレベル!」となったら、じょきじょきと切っちゃう。ものの数分で、今度は明るい顔の私に出会える。視界がぱあっと明るくなって、「前髪邪魔!」と憤ることもない。なんであんなにも前髪を切る作業を面倒くさがったのか意味わかんない。

「よし、今度はもう少し早い段階で前髪を切ろう」と心に誓っても、また切る段階になると面倒くさがってずるずる伸ばしてしまう。

 

 思い出せば、面倒くさいことや嫌なことはずるずると後回しにしてしまう性分だった。夏休みや冬休みの宿題を、休みの前半で終わらせるだなんてミラクルできた試しがない。犬の散歩当番だったら、時間ギリギリまで渋って誰かが代わりに行ってくれないだろうかと祈ってた。図書館で借りた読みづらい本は、貸出期間中ギリギリまで借りてるくせに、これっぽっちも読まない。

 これまでの私の人生の中で、ギリギリまでほったらかしにしていたのは、たぶん大学受験の結果発表だと思う。

 高校生のとき、学校の中での成績が低かった私。推薦入試でも受けていれば苦労することなかっただろうに、「推薦入試は賢い人しかできない特権なのだ!」と思い込んでいて、放置。締め切りが過ぎてから担当の先生に「なんで推薦入試、希望しなかったんだ!」と呆れられた。

 仕方ないよね、ということで黙々とセンター試験に臨むものの、やっぱり第一志望には到底足りず、地方の大学へ試験を受けに行った。一次試験は見事不合格で、「あーあ、推薦入試申し込んでおけばなぁ」だなんて言ったところで後の祭り。周りはどんどん合格していくなか、暗ぁ〜い気持ちで二次試験へ。

 二次試験は面接メインで、手応えをどこで計ればいいのかさっぱりわからず、合格発表を見たくなかった。どうせ落ちている、と、きっと合格してるはず、の気持ちの揺れ動きにぐったり疲れてしまったのだ。

 合格発表は、学校のホームページで午前中に発表だった。「ああ、見たくない」モードに入っていた私は、昼過ぎまでグッスリと布団で寝、お昼になってモソモソと起き始め、ぼんやりしていた。「早く終わんないかなぁ」だなんて思っていた。

 いま思えば「さっさと合格・不合格を確認すりゃ、終わるよ!」とツッコんでしまうが、当時の私は逃げられるのならどこまでも逃げていたかった。

 けれどいつまでも逃げ続けられるわけもなく、ついに仕事に出ていた親から「合格してたか?」という恐怖の電話がかかってきた・

「えー…………まだ見てない」

「この馬鹿もんがあああああああ!」

 と怒鳴られ、急いで見てみると「合格してんじゃん!」となり、無事ぎりぎり大学への入学が決まったのだ。学校へその報告に行くと、「あまりにも報告がないから、落ちたのかと思った」と言われた。ですよねー。

 

 物書きになりたいと思いながら文章を書こうとせず、ついつい小説や漫画を読んだり、音楽を聴くことに夢中になったり、ゲームしたりしちゃうのも、きっとこのナマケモノで逃げたがりな私の性格が悪いのだ。今回もこの文章を書くまで、随分ずるずるとサボっていた。

 物書きにならない、と決めたのならサボったってなんの問題もない。人生を謳歌せよ、と好きなだけ小説や漫画を読んで、音楽を聴いて、ゲームをしたらいい。でも、やっぱり物書きになりたい、と私の心の中心がうずくのだ。

 まずはできることから。三十歳を過ぎてから、ようやくそんな心境に至った。なんて遅い成長。まあ仕方ない。こんな性格なんだもの。

 なので、まずは前髪を切るところから始めたいと思う今日この頃なのだ。

第1記 人生は夢だらけ

 椎名林檎さんの「人生は夢だらけ」が好きだ。CMで使われていたから、ちょっと聴いたら、あああの曲ね、となる人は多いはず。この曲を聴いていると、私の人生なんだから私の夢を叶えてやるぞーっ文句は言わせん! と元気が出る。

 じゃあ、私の夢はなに? と自分の心に問いかけると、いろいろありすぎて自分って欲張りだなぁと少し呆れてしまう。自分好みの家を建てたい、畑が欲しい、投資でがっぽり稼ぎたい、大金持ちになりたい、起業したい、日本全国の美味しいものを食べ歩きたい、世界中の美術館に行きたいetc。

 でもそれらの夢の中で一番叶えたい夢は、物書きになりたいという夢だ。

 

 どうして物書きになりたいのかというと、これがもう呪いのような思い込みによるもの。

「将来の進路を紙に書いて提出するように」という宿題が、中学生のときに出た。進路指導の一環だった。提出は土日あけての月曜日だったように思う。

「将来何になりたいかって言われてもなー」というのが、あのときの私の心。まだ社会に出ていなくて、でも小学生のときよりはちょっと大人になっていて、現実は夢を描いているようにはいかないことを知りつつあったあの頃。どういう夢を思い描いたら、私らしく毎日充実して生きていけるのだろう?

 当時の私はいまよりも人と接することが苦手だった。人と会話をするのは下手で、いつも上手にいかないと悩んでいたし、ケンカとか悪口とかイジメとか関わりたくなかった。誰かと無理につるんで遊ぶよりは、一人で漫画読んだり絵を描いたり本を読んだり歌を歌うほうが好きだった。

 こんな私の気持ちにしっくりくる夢は世の中にあるのだろうか、とぼんやり将来を不安に思っていた。こんな私にできる仕事なんて、世の中には存在しないんじゃないか? と無力感を抱いていた。

 たった一人で生きていける世の中だったらよかったのに、と願った。でも願いながら、将来結婚したいなとか家庭を持ちたいなだなんて、思い描いていた。

 

 そのときスタジオジブリ作品の『耳をすませば』がテレビでやっていた。何度も見たことのある作品で、あのときまではたいして面白い作品だとは思っていなかった。『耳をすませば』よりは『魔女の宅急便』のほうが好きだったし、他のアニメ作品のほうが私の好みだった。

 タイミングというのは、とても大切だ。それまでたいして何も思っていなかった作品に、自分の人生を決めさせてしまったのだから。

「小説家になりたい」という夢を強く抱いて、一所懸命に小説を書く主人公の姿に強く憧れた。寝る間を惜しんで、成績が下がっても授業がおろそかになっても、小説を書く。そして書き上げた物語を「これが私の書いた小説です」と、恐れず他人に見せる勇気に、震えた。私だったら、否定されるかもしれない、けなされるかもしれない、と思うと怖くて、他人に見せたくないと誰の目にも触れないように隠してしまうにちがいない。そんな怖さを抱きつつも、それでも書き上げ表現した主人公に、私もああなりたいと強く願ってしまったのだ。

 あの日からずっと私の夢は、物書きになることだ。

 

 それだというのに私ときたら、書く体力や考える努力の大変さに、ついなまけてしまった。書く時間があるというのに、よし書こう! とはならずに、ついつい漫画を読んだりゲームをしたりして時間を潰してしまう。そして時間が過ぎ去ったあとに、「ああ今日も書けなかった」とため息していたのだ。心の中で思い描いているだけでは小説は感性しないというのに、思い続けることに価値があると信じていたのだ。

 このままだと私は、夢を叶えず死ぬ間際に「ああ物書きになりたかった」とつぶやいて死ぬダサい人間になるぞ!

 30歳の誕生日を迎えて、ようやくその現実に気づいた。遅い、遅過ぎる。けれど、ここで何もしなかったら本当にそういう現実を迎えてしまう。

 このまま人生、終わらせちゃうの?

 いや、いいや、それは困る! だって人生は夢だらけ。夢を抱いて叶えてなんぼなはず。

 慌てて、夢を叶えるために今の自分にできることはなんだろうかと日々の生活を見直して、ブログを書き始めることにした。そのブログは毎週書き続ける習慣ができたので、じゃあ次はどうしようかと考えて、もう一個ブログを立ち上げようと閃いた。

 

 物書きになりたいという夢を抱いてから、今までのなんという無駄な時間。それを思うと「なまけものにもほどがある! このあほんだら!」と自分を叱責するばかり。自業自得とはいえ、どうにかいままでの無駄な時間をなんとか意味ある時間に変えてやりたい。

 そういう気持ちがメラメラと燃え上がった。

 私が過ごしてきた無駄な時間たちが、ほんの少しでも私のものを書くという行為にたいして意味あることに変えられたのなら、ほんの少し自分を許せる。

 じゃあ、どうやって価値を出すんだ? と考えた時、「そうだ、エッセイを書こう!」となった。書く内容は、私の思い向くまま生きてきた軌跡そのものを、綴ってやろう。

 そう、人生は夢だらけ。私は私の夢を叶えるために生きてきて、これからも生きていくのだ。